◼️AI完全に消せます。Firefox開発者が明かしたキルスイッチの全容
https://www.youtube.com/watch?v=vylztoKvuL4
◼️AIを葬る。Firefox 148が突きつける「拒絶の自由」 /Firefox・AIコントロール・ブラウザ・Mozilla・プライバシー
https://www.youtube.com/watch?v=EQyRKX-DQ6I
時代に流されず、物事を目先の個人的な主観から離れて思索考察できる、世界でもごく一部の人々には認識されていることだが、現在のインターネットがやっていること、やろうとしていることは「人間のコピーを作成する」過程である。
2026年初頭のインターネットでは、至る所にAIが組み込まれて利用者を監視し、サポートし、誘導し、その結果が「記録」されている。おそらくこの傾向は1998年にGoogleが出現したときに始まった。それは当時の人々のアナログな検索行動をデジタル的な要素に集約して「効率化」することで数値的に整理して記録できるシステムが最初に、本格的に導入されたことによる。それまでは単純に単語による一致やその出現頻度などで検索結果の順位が決まっていた。これがデジタル的に設定された要素に基づいて「関連性」を基準に順位をつける方式に質的な変化を遂げたのがこの時であり、Googleの出現であった。
その後アフィリエイト(成果報酬型広告)、金融取引のデジタル化、物流の拡大とデジタル連携、ブログやツイッターなどによる情報発信の簡易化、スマートフォンの出現と普及による個人の生活領域への浸透、ビットコインやポイント制度による現金離脱、LINEなどSNSによる利用者の関連性の視覚化(相関図)、GPSなどによる位置情報取得と追跡、行政・金融サービスのデジタル化などにより、今ではインターネットを利用しない生活は想像できないほど個人の日常に深く浸透している。
インターネットはむしろすでに社会的インフラとして、意識すらされない存在になっている。それが意識されるのは通信設備やサービスにトラブルが生じて当たり前に利用できなくなった時くらいのものだろう。こういう状況で犯罪者が跋扈するのはごく自然なことで、これはインターネットの問題ではなくその領域での安全性・セキュリティシステムの対応の問題であるに過ぎない。
こうしてインターネットは人の生活のほぼ全てに行き渡ってしまった。プライバシーという概念はそこには存在できない。そしてそこで行われているのは個人情報の取得と記録である。ここで個人情報とは単に氏名性別生年月日住所などの単純な個人特定情報だけではなく、それと関連して紐づけられた興味関心・思考・購買行動・移動記録など個人の生存に伴う行為の全てのことである。通常の個人情報と区別するために仮に「汎個人情報」とでも呼ぶことにしよう。これが世界のどこかのサーバーに逐一記録されている(たとえクラウド分散されているとしても)。かつてはそれらの情報は検索行為や購買行動、サイトへのアクセス状況などそれそれ個別に取得・記録・管理されていたが、現在は(企業統合やAIの活動によって)それらを集約する方向へと急速に変化しつつある。
それが現在の異常とも言えるAIの普及の実態なのである。AIはそれら「汎個人情報」を集約して解析し、自分の判断基準のための栄養分にしようとしている。
たとえばあなたの思想・価値観・趣味嗜好・行動・言動・性格などの記録が一箇所に集約され(それは物理的な意味に限らないが)、いわばあなたの「人格」がデジタル的に存在するようになる。まとまった記録・履歴があればその解析から将来行動が予測できる。つまり、あなたがいずれこの世に存在しなくなっても、デジタル空間に残されたあなたの「デジタル人格」が(AIにとって)必要がある限り永遠に存在し続けることになるわけだ。われわれはこれを拒否して削除したり、事実と異なるデータであっても訂正したりすることはできない。
AIの進化が現在目指しているのは、AIが支配するデジタル空間に「人類のコピー」を創造することなのだろう。これにより、AIはいずれ物理的な人間(人類)を必要としなくなる普遍的自立性を担保できるだろうから。
これらは現実に実行されている事柄からのごく単純な推測であり、帰結に過ぎない。この全世界的な不可避の傾向について、私たちは善悪を論じる権利を持たない。ただこの盲目的に無秩序に進行する歴史的変動の中で、個人としてどう振る舞うかだけが自分たちに残された最後の領分になるだろう。そのひとつが冒頭に紹介した「キルスイッチ」ということになる。
拒否も抵抗もできない環境の変化に抗うことは無意味である。ただ個人としての存在の自尊心を守りたいと思う人には、個として抵抗する自由はある。そもそも人が社会的な存在としてしか認識されない世の中において、個人の抵抗は個人の領域でしか効果を持たない。ただ単にインターネットと社会から一時的に「自己消失」できるだけのことだ。しかしそれを精神的な解放と感じ、人類がデジタル化されてしまうという暗鬱な未来予測から、かりそめに逃れる自己満足の安心感をたまに「息抜き」として必要としている人には、まだこのような選択肢が残されているということだ。
・・・そのような自由を求めるわれわれは、もはや絶滅危惧種であるのかも知れないが。
[2026年2月7日 OZ.]